2016/08/03
そのうちの一羽が飛び立つことを決意した。
さて、残っているのは何羽だい?
誤解されがちだが、決意そのものには何の力もないんだよ。
そのカモメは飛び立つことを決意したが、翼をひろげて空を舞うまでは防波堤にとまったままだ。
残りのカモメとどこも違わない。
人間だって同じだよ。
何かをしようと決意した人と、そんなことを考えてもいない人とでは何の違いもないんだ。
ところが人は、他人のことは行動で判断するのに、自分のことは決意で判断することがよくある。
しかし、行動を伴わない決意は期待してくれている人に対する裏切りでしかない。
引用:「希望をはこぶ人」アンディ・アンドルーズ著
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考えるだけなんて誰でも出来るから
というわけで、少々考えさせられた一文をパクらせてもらった!
いくら自分の頭の中で崇高な決意をしていようと、
まわりに対する様々な想いをもっていようと、
それらが行動に移されて形に現れない限り、それは存在しないのとまったく同じなのです。
もっと身近な例で言えば、「謝罪のシーン」。
もし誰かに何かとんでもなく悪いことをされたとして、
「ごめんなさい、本当に反省しています。もう二度とこのようなことがないようにします」と言われて許しますか?
これよりも大事なのは、同じことを繰り返さないように具体的にどんなことをおこなっていくのか?の部分ではないですか?
さっきの
行動を伴わない決意は期待してくれている人に対する裏切りでしかない。
はこういうことを言っているのかなぁと思いました。
頭で決意するだけ、口先だけの謝罪なんて、存在しないのと一緒なのであーる。
自分を省みることを忘れない
また、少々話題が飛びますが世の中には次のような人がいます。
- 否定はするけど、代替案は出さない
- 傍観者なのに、文句だけは垂れる
人間は歳を重ねるごとに知識も経験も増えていきます。
すると、自分の考えが正しいものであるということに対して疑いを持つこともなくなっていきます。
「俺はあいつらとはひと味違う」
「私はあなたのためを想ってこんなにやっているのに」
そう思うのは結構。
じゃあそれを証明できる具体的な行動は?
これがない限り、その他大勢と何も変わらない。何も考えていないのと変わらない。
それが
他人のことは行動で判断するのに、自分のことは決意で判断することがよくある。
の部分で、「決意」とはまた違うけど、本質的には同じなのではと思います。
人の頭の中の決意や、考えなんて見えないんです。
自分が他人を見ているように、他人も自分を見ているってことに気づき、省みることを忘れないようにしたいものです。
というわけで、
やっぱり、何事も実践してみてなんぼだよな〜と考えさせられた一文の紹介でした!
コメント
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by 晩婚化の原因や解決策は「東京タラレバ娘」の名言から学ぶべし。 | 青い足跡 2016年5月9日01時12分 1:12 AM