2016/08/03
人気マンガ「ONE PIECE」の中には名言がたくさんある。
その中に登場するキャラクター、Dr.ヒルルクが放った名言が特に印象に残っている。
人はいつ死ぬと思う?
心臓をピストルで打ち抜かれた時…違う
不治の病に犯された時…違う
猛毒キノコのスープを飲んだ時…違う
人に忘れられた時さ
一見、(え…どれも死ぬじゃん)って捉えてしまいそうにもなるが、これはそんな薄っぺらいことを言っているのではない。
この言葉が意味する本当のところを知れば現代に活かせることもあるのではないかと思う。
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Dr.ヒルルクの言葉の意味
言葉の表面だけを捉えれば、銃で撃たれれば人は死ぬし、不治の病なんか積んでるし、毒キノコのスープを食べても当然死ぬことになる。
ただ、Dr.ヒルルクが言っている「死ぬ」とは単に生命の終わりを指しているのではなく、その人の意志や存在、魂が失われ、消えてなくなってしまうことを言っている。
このように、子どもの頃には漠然と「カッコイイセリフだなぁ」なんてサラッと流していたものでも、大人になって改めて見直してみると気づくものがある。
現代社会における「忘れられる」とは?
「忘れられる」とはどういうことか?
より現実味を持たせた言い方だと「相手にされなくなる」ということが言えるのではないか。
では、相手にしなくなるのはどういう人に対してか?
それは「話の通じない相手」である。
話の筋がまるで通っていない、言っても何も変わらない相手に対して多くの人が取る手段は
「相手にしないこと」なのである。
そして、言っても何も変わらない人間に共通する特徴の一つとして「省(かえり)みることをしない」というものが挙げられる。
かえりみる(顧みる、省みる)
過去の事柄(前例)やその経過の有様を考える。[顧] 「歴史を―」
(自分の)して来た事のよしあしを考える。反省する。[省] 「平生を―」
他人や物事を気に掛けて心を配る。[顧]
省みることをしないということは、「自分が正しい」ということに何の疑いも持っていないということであり、
自分の価値観がこの世の絶対的な価値観だということを信じ込んでいるということである。
そのような相手に何かを言ったところで馬の耳に念仏、右から左なのは言うまでもない。
圧倒的にエネルギーの無駄遣いである。
忘れられた人にならないために
つまり、周囲から相手にされなくなった人間は忘れられたも同然で、Dr.ヒルルク的には「終わっているやつ」ということなのである。
逆に考えれば、そのような存在にならないためには、常に自分を省みることを忘れないようにしなければならない。
…忘れられた人にならないために、忘れないようにしなければならないこと(゜゜)混乱してきた。
それはさておき、
- 自分が放った言葉で相手を傷つけてはいないか?
- 価値観の一方的な押し付けになっていないか?
他にも気をつけるべき点はあるのだろうが、こういったことを考えるのが必要になってくる。
ただ意識していても実際に省みることができているかどうかはまた別問題ではあったりする。
だが、この一手間を通すことで改善されることも多いと思う。
Dr.ヒルルクの言葉から、こういった「省みることをわすれない」という謙虚な心を持つことの大切さを改めて教えられたような気がする。
というわけで…
僕はさっそく今回の記事について省みることにしてみた。
そして謙虚な心でこう思った。
圧倒的正論ッ!!!