青い足跡

学び・体験・気づきをその時の言葉で残していく。

性善説と性悪説の違いは?どっちが正しいかではなく教育次第かと。

time 2016/03/11 02:37

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性善説と性悪説の違いは?どっちが正しいかではなく教育次第かと。

どうも。

生まれたての甥っ子を眺めていて、「無垢」という言葉がこれほどピッタリな存在があるのかと感じている日々です(´∀`)

 

そしてふと、世の中のクソな輩にもこんな時代があったはずなのではと思い、なぜそうなってしまったのかを考えていたら性善説と性悪説という概念にたどり着きました。

せいぜん-せつ 【性善説】
人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に持っており、 悪の行為はその本性を汚されることによって起こるとする説。正統的儒学の人間観。孟子が唱えた。

せいあく-せつ 【性悪説】
人間の本性を利己的欲望とみて、善の行為は後天的習得によってのみ可能とする説。孟子の性善説に対立して荀子が唱えた。

要するに、「人は生まれつきは善だが、成長すると悪行を学ぶ」というのが性善説、 「人は生まれつきは悪だが、成長すると善行を学ぶ」というのが性悪説です。

 

つまり、どちらの見解でも結局「人は善行も悪行も行いうる」という点では同じということなんですよね。

 

僕が高校生の頃に初めてこの概念を学んだ時には

(人間だぁ?エゴの塊でゲスの極みばかりじゃねえか~!よって悪!)と当時のダークサイド全開で性悪説を支持していました。

 

で、そのままここ最近まで性悪説派だったんですが、これが今では「人はもともと善も悪もないのです」という中庸の道に目覚めました。(悟り顔)

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善悪はどこから生じる?

始まりの状態を考えてみます。

みんな最初は赤ん坊でした。生まれたばかりの赤ん坊は生きることに必死です。

かといって、自分一人では何もできません。だからお腹がすいたり、不快なことがあったり、何かしてほしいことがあれば泣いて知らせます。

 

泣いて知らせて自分の世話をさせる。言ってみれば自分の欲を満たすための行為ですが、そこに善や悪があるでしょうか?

 

 

否_-_Google_検索

 

 

ないですよね。

そこにあるのは「食う・寝る・出すという純粋な生きる営み」のみです。

 

そんな風に、生まれた頃には善も悪もなかったはずなのに、育つ過程で周りに意識を向けて気づかう子もいれば、自分さえよければいいやと思う子も出てくる。それがやがては善行、悪行に分かれていく。

 

これってやっぱり生まれつきの性質ではなく、教育によってかなり大きく左右されるものだと思います。

 

幼い頃から悪行が当たり前の世界で育てばそれがその子の基準になるし、善行で満たされた世界で育てば善を行うのが基準になるし…

 

っていう具合に幼少期の環境って、それがそのままその子の世界になるんですよね。

子どもの世界は狭い。

これは大人には理解しにくいかもしれません。

というのも、大人になれば家庭での社会、職場での社会、プライベートでの社会といくつもの社会に所属しているため、一つの場所に依存する必要がない。だから周りに影響を受けることもだんだんと少なくなっていく。

 

けど、赤ん坊や幼い子どもにとっては家庭しかない。例えそこが過酷な環境だったとしてもそこに順応せざるを得ない。

 

例えば、自分が今無職で、これから就職活動をするとします。

もし何社も面接を受けては落ちまくって、やっとの思いで入社した会社がブラック企業だったとしても、生活していくためには、そこがどんなに辛い環境だろうが順応していくしか道はないですよね。

 

 

嫌なら転職すればいいじゃんって思いますか?

じゃあ赤ん坊が家庭を選び直すって出来るの?

 

 

家庭を選ぶことはできないし、そこが恵まれない環境だったとしても順応するしか道はないんです。

そして無理をすればどこかでしわ寄せが来ることになる。それが人格面に悪い影響を与えることになるのかもしれません。

 

他にも、中学生が「いじめを苦に自殺」という事件を目にした時の話で、「いじめくらいで…」とか「転校すればいいのに…」などと思う人も中にはいることでしょう。

 

けど、そう思うのは大人だからこそです。子どもにとってはそこが世界だから、そこで順応できないとすべてが終わったかのように感じてしまう子もいるのです。

 

赤ん坊や幼い子どもにとっての家庭もこれと同じなんです。

 

そしてその家庭という世界に多大なる影響を受けるのだから、そこが恵まれた世界である子どもが多ければ多いほど、その子の人生、ひいては日本の未来が少しでも明るくなるんじゃないかと思うこの頃です…

って話のスケールがでかくなりすぎた~(;・∀・)

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どげんか遷都物語ですよ

まぁこれがそうもいってないことが多いのが現代で、精神的に未熟な大人に育てられる子どももたくさんいます。

その大人もまた親の教育によってそうなったのかもしれないことを考えると、子は親を選べないとはよく言ったものですね。

 

でも、どこかの世代でその負の連鎖を断ち切らないといけない。これは気づいて、自覚できた者からやっていかなければならないところです。

 

本来、人間には善も悪もなかったはずなのに、成長の過程で善行をたくさん覚える子もいれば、悪行をたくさん覚える子もいる。

 

その違いは育つ環境に大きく左右されるので、幼少期の環境の大切さをもっと多くの大人が自覚するだけでも、彼らの未来がより良い方向に向かうきっかけになるのではと感じています。

 

 

と、まとめてみたものの…

最近はクソな行為をクソだという自覚なしに平気で行う輩も増えてきていて一概に善悪のみで判断できるものでもないのがもどかしい。

 

 

 

って自分・・・、

子どもがいるわけでもなければ、教育業界に携わってるわけでもないんだけどね!!

 

えらそうに語って、正直すまんかった!

 

ひとまず、性善説と性悪説どっちが正しいとかって水掛け論は置いといて、多くの大人たちに幼少期の教育環境の重要性が伝わればいいなと思ふ。

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昭和が終わる頃に生まれたアラサー。 ジャンル問わず、自分が学んだことを分かりやすくかみ砕いて伝えられるような記事を書いていきたいです。 最近はスマホアプリのFFRKにハマっています(笑)